La fin du poème -最果ての詩-

この度、ドレス「最果ての詩」では正面から右側と左側にそれぞれ中東カーペットが描かれているFrancesco Nolettiの静物画と、17世紀オランダの政治家コルネリス・デ・ウィットの肖像画が使用されました。

1.記録が少ないFrancesco Noletti

画家Francesco Nolettiはマルタに生まれ、1640 年から1654亡くなるまで主にイタリアのローマで活躍していたとされています。Nolettiはよく「Il Maltese(マルタの人)」と作品に署名をし、そのため作品にある署名と本名の違いによって、最初これは異なった二人と間違えられたことが多く、近年の研究によって徐々にFrancesco NolettiとIl Malteseが同一人物であると確定ができました。

Francescoに対しての初めての記録は、17世紀イタリアローマにある貴族バルベリーニ家の書物では1631年から1636年の間に、「様々の花がある油絵6枚」の作成者だと言及されました。Nolettiの作品で代表的なモチーフは華やかで異国情緒溢れのウシャック絨毯です。ドレスで使われた絵画作品では、机に青・黄色・赤などの鮮やかな色で、丁寧に幾何学系に織り込まれたトルコ風絨毯が布いられ、その上に熟成したフルーツが散らかされ、後ろに白と青の中国風陶磁器と光の加減で柔らかい光沢を放つ金属製品が施されています。本来オリエンタル的なウシャック絨毯にフルーツや置物の加入で一層華やかさと贅沢も加えられました。

2.オリエンタルカーペット

西欧では14世紀以降、アナトリア、ペルシャ、アルメニア、アゼルバイジャン、レバント、エジプトのマムルーク国、北アフリカなど中東起源の絨毯を装飾として絵画作品に用いられました。

カーペットは視覚的重要な人物に注意を引く或いは重要な行動が起こっている場所を強調する役割があります。例えばルネサンス期では、キリスト教の聖人や宗教的なシーンをカーペットの上に置きそして描きく作品は多くありました。その後中東のカーペットは世俗的な意味が入り、徐々に豪華、オリエンタル、贅沢、富、または地位を表す意味が含まれました。最初肖像画で中東のカーペットを使用していたのが王族と貴族であったが、その後裕福な商人や中産階級の肖像画でも登場し初めました。

3.虐殺されたデ・ウィット兄弟

ドレスの左側に使われた絵はオランダ黄金時代の画家、コルネリスビスコップ(Cornelis Bisschop)の作品です。画面の中央に、天使や白鳥に囲まれている男性は17世紀オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の政治家、オランダ共和国の指導者ヨハン・デ・ウィットの兄コルネリス・デ・ウィットです。

コルネリス・デ・ウィットはドルドレヒトの名門デ・ウィット家に生まれ、ドルドレヒト市長、ホラント州の副総督まで登り、弟の補佐となりました。

当時オランダは海上貿易で経済的に発展し、その台頭を抑える為、イギリスとフランスから海・陸の攻撃が迫り、オランダは今までもない危機に陥ました。その後デ・ウィット兄弟が海軍に力を入れすぎたため、陸地からのフランスの攻撃に対応できず、そのため屈辱的な講和条件を検討しはじめ、政党内と民衆の間で酷い反感を買いました。後にコルネリス・デ・ウィットは彼を反対する政党からオランダ総督暗殺の罪名が押し付けられ、監獄で 惨酷な拷問されました。結果的にコルネリスが追放処分を受け、弟のヨハン・デ・ウィットがすぐ監獄に出された兄を向かいに行きました。当時の民衆たちは、オランダが戦争で受けた失敗・屈辱・不満・怒りをすべてデ・ウィット兄弟にぶち込み、この情報を知った民衆は、監獄に乱入し、兄弟二人を引きずり出して虐殺しました。

しかしそれだけでも暴徒たちは満足できませんでした。彼らはデ・ウィット兄弟の死体に腹裂きの刑を与え、兄弟たちの内臓を抉り出し、食べられました。この残虐で恐ろしい事件に対して哲学者バールーフ・デ・スピノザも「あなたたちは最悪の野蛮人だ」と強く激動した。この恐ろしい事件に対してオランダ画家ヤン・デ・ベーン(Jan de Baen)は「デウィット兄弟の死体」という絵画作品を残し、フランスの小説家アレクサンドル・デュマ・ペールも1850年に書いた小説『黒いチューリップ』で言及されました。

デ・ウィット兄弟を記念するため、オランダドルドレヒト市の中心部に二人の銅像が建てられました。銅像で兄のコルネリスは右手を弟が座っている椅子に掛け、静かに傍に立ち、悲しい表情で前を見つめていました。隣の弟ヨハンの顔が下に向き、何かを考えているように見えます。ここは彼らが生まれそして愛しの故郷であると同時に、彼らを埋葬した土地でもあります。今の彼らはこの土地の見守りとなり、そんな悲しい所に対して、果たしてデ・ウィット兄弟はどう考えるか、私たちはもう知ることはできません。

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