エッチングの始まりは金工職人
エッチングの技法は1500年頃、ダニエル・ホッファーによって鋼板で初めて試されました。この技法は14世紀から鎧や武具に用いられていた腐触法から派生しています。具体的には、ワックスで覆われた金属面にデザインを施し、酸を使ってパターンを浮かび上がらせる方法です。1520年にはルーカス・ファン・ライデンが銅版でエッチングを始め、新しい防触剤の開発と腐触液の改良により銅版画の基礎が確立されました。この技術は16世紀に全ヨーロッパに広まり、芸術表現の新たな形として根付いたのです。中世ヨーロッパ鎧の紋様
銅版画の技術発展に貢献したレンブラント
銅版画は、銅の板に作った凹みにインクを詰めて、紙に圧力をかけて転写する技術です。この方法には二つの主流があります。一つは直接銅板を彫る「彫刻銅版」で、エングレービングやドライポイント、メゾチントが含まれます。もう一つは薬品を用いる「腐食銅版」で、エッチングやアクアチント、ソフトグランドエッチングが代表的です。これらの技法はしばしば組み合わせて使用されます。
銅版画の技術発展に大きな影響を与えたのが、オランダ17世紀に活躍した画家のレンブラントです。「夜警」などのレンブラントの光と影の表現は、銅版画の世界でも遺憾無く発揮されました。
彼は自ら300点以上の版画を制作し、腐食技術の工夫、ドライポイントとビュランの線を活かした繊細な表現、インクの拭き取り方による効果の追求、そして和紙や皮紙などの版画紙の仕上がりに対する研究など、エッチング技術の発展に貢献しました。
レンブラント・ファン・レインとヤン・ギリス・ヴァン・ヴリエットによるラーコーツィ・ジェルジ1世肖像画
星座になった彫刻室と彫刻具
2世紀の古代ローマの天文学者プトレマイオスが設定した48星座に、南天の星座などを加え、1922年に国際天文学連合が現代の88星座を採択しました、その中に彫刻にまつわる星座が2つもあります。それが「ちょうこくしつ座」と「ちょうこくぐ座」です。18世紀にフランスの天文学者ニコラ・ルイ・ド・ラカーユによって生み出されました。この新しい星座は、1756年に発表された「Histoire de l'Académie royale des sciences」におけるラカーユの星図で初めて紹介されました。
ちょうこくしつ座は彫刻師のアトリエとして、三本足のテーブルの上に彫刻されたの頭と、その隣の大理石のブロックの木槌との彫刻刀で構成されており、ちょうこくぐ座はエングレービング道具であるビュランとドライポイント用ニードルがリボンで結ばれた姿を描いたものでした。
『ウラノグラフィア』に描かれたちょうこくしつ座、ヨハン・ボーデ、1801年