宮廷道化師のフランソワ―運命の出会い
この度デザイナーがインスピレーションを受けたのは、ドイツのミュンヘンにあるバロック宮殿ニンフェンブルク城(Nymphenburg Palace Park )の中にある狩猟別邸アマリエンブルク(Amalienburg)です。その建物と内部装飾をデザインしたのが宮廷道化師のフランソワ・ド・キュヴィイエ(François de Cuvilliés)でした。
小人症があるフランソワ・ド・キュヴィイエは11歳の時に宮廷道化師になりました。宮廷道化師というのは、娯楽の為に中世ヨーロッパの王族や貴族によって雇われた存在です。その中で小人症を持つ人、黒人たちはその異なった外見で当時の人たちを笑わせ、エンターテインメントのような存在として上流社会に所有され、衣食住など面で良い待遇を受けました。彼らは16世紀スペインの宮廷画家ベラスケスの作品『ラス・メニーナス』、『バリェーカスの少年』という作品や、現代のテレビドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』の宮廷での祝うシーンでも見られます。そのため宮廷道化師はある意味で王族の奴隷とも言えます。
そのような存在として宮廷に入ったキュヴィイの才能を見つけてくれたのは、彼が仕えているバイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエル (Maximilian II. Emanuel)でした。この出会いがまさに彼の運命を変えたきっかけとなりました。その後バイエルン選帝侯が彼に数学と工学を学ばせて、のちに1720年にフランスまで派遣され、建築学の勉強をさせた。4年後ミュンヘンに戻ってきたキュヴィイエは宮廷道化師としてではなく、正式的に建築士として宮廷に勤め始めました。この留学の経験によって、彼は当時フランスで流行していたロココスタイルを習得し、それをドイツに持ち込み、融合したバイエルンロココスタイルを作り出せました。
バイエルンロココスタイル―アマリエンブルク
ニンフェンブルク城の最初のデザインはイタリア建築家ヨーゼフ・エフナー(Joseph Effner)によって設計され,1664年に建設開始で宮殿の中央部分が建てられました。その後マクシミリアン2世等歴代君主によって徐々に増築され、バロックやロココスタイルの建築様式も建てられました。キュヴィイエにデザインされたこの狩猟別邸のアマリエンブルクはバイエルンロココスタイルを代表する傑作の一つです。
アマリエンブルクは1734年にバイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルの息子、神聖ローマ皇帝カール7世 (Karl VII)の命によって建てられました。建築全体は白と淡いピンクで構成され、その上ふんだんに南ドイツの後期ロココ建築家ヨハン・バプティスト・ツィンマーマン(Johann Baptist Zimmermann)のスタッコと木彫師ヨアキム・ディートリック(Johann Joachim Dietrich)の装飾彫刻を使っていました。ここで注目すべき所は、正門の真上にある、ローマ神話に登場する狩猟と月の女神ディアーナのスタッコ(化粧しっくい)です。女神は狩猟用の矢を背中に負い、周りに天使・猟犬に囲まれ、下に獲物のイノシシやシカのマークも装飾されています。まさに狩猟別邸にぴったりのスタッコ装飾です。
建築家・装飾家-多産のキュヴィイエ
キュヴィイエはアマリエンブルク以外、ホルスタイン宮殿(Holnstein Palace)、1984年に世界遺産の一つとして登録されたブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト(Augustusburg and Falkenlust Palaces, Brühl)など有名なロココスタイル建築物も作りました。さらにキュヴィイエは最後の30年の間で多くの装飾や飾りのデザインをし、それをパターン・ブックの形で彼独特のフランス・ドイツロココ様式をヨーロッパ中に広がりました。
宮廷道化師から建築士へ、バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルとの奇跡の出会いで、キュヴィイエが存分にその才能を発揮し、世界に名を残す建築家となり、現在の私たちに多くの傑作を残しました。